先日、ゲイバーに連れて行ってもらった。
ゲイバーに行くのは初めてだ。いわゆる「初体験」って奴だ。
場所はもちろん新宿二丁目。
言うまでもなく東日本におけるゲイの聖地である(たぶん)。
これまでもゲイバーに興味はあったが、さすがに自分一人で行く度胸はなく、また人を誘って行くにしてもまずゲイバーに興味を持っている知り合いなんぞほとんどいないため、新宿二丁目は未踏の地であった。
だいたい、ゲイでもないのにゲイバーに行くこと自体、面白半分の冷やかしではないのか?ゲイの人達を侮辱する行為なのでは?と、躊躇する気持ちもあった。
(尚、残念ながら私コツメはゲイではありません。)
しかし、遂にゲイバーへ足を運ぶ絶好の機会が、私の元に訪れた。
ゲイの友人に、新宿二丁目のゲイバーへ連れて行って欲しいと頼んだところ、二つ返事で承諾してくれたのだ。
持つべきものはゲイの友人である。
いや、この言い方には語弊がある。まるでゲイバーに行くためだけに、その友人を利用していると捉えられては困るので、もう少しだけ説明させて頂く。
彼とは、我々が大学一年生の時、入学当初からの友人関係であり、「ゲイの友人」がいるというよりは「友人がゲイだった」と言うのが正しい表現だ。
いつ、彼がゲイであることを知ったのかであるとか、彼がゲイだと知ってどう思ったのかなどというのは、ここでは全く関係のない話なので割愛させて頂く。そもそも、このことを書き始ると「超大作」になってしまうため、このようなブログの場は適切ではない。
さて、話を元に戻すと、この友人は普段アメリカは西海岸方面に住んでいるため、そうそう会える機会はないのだが、たまたま仕事で年始頃から2月まで日本に来ていたために、今回の私の望みである「新宿二丁目のゲイバー詣」が実現したという次第だ。
彼に連れられて、2月初旬の平日に、初めて新宿二丁目という土地に足を踏み入れた。
そこには私の想像していた期待通りの世界が広がっていた。
例えば、路面に面した1階に店を構える、大人向けの本やグッズを売る店は当然ながらゲイの方々を対象とした品揃えだ。
店先に「ふんどし」のポスターが貼ってある専門店と思わしきところもある。
そして、この街には女の影が極めて少ない。数人が路地にたむろしているのを見かけても、その全てが男のみの集団である。いよいよ自分は今、これまでの人生で初めて訪れる世界に足を踏み入れているのだということを実感させられる。
そんな興奮が高まる中、ついにゲイバーに入店する時が来た。
その店は、新宿二丁目の中心街から少し外れた場所にある、雑居ビルにあった。
いざ入店すると、見た目はこじんまりとした、庶民的な雰囲気すら感じられるバーであった。
その日は水曜日ということもあり、先客はわずか1名。
さすがはゲイバーに来ている客だけあり、醸し出す雰囲気が只者ではなかった。むしろお店の経営者(ママ)の方が至って普通の男性であり、外見からでは言われなければゲイの方であるとは分からないほどであった。
飲み物も普通、出てきた乾きものも私がいつも家で食べている普通のベビースターラーメン(ピーナッツ入り)であり、ゲイの方が営む、ゲイの方向けのバーとはいえ、特段普通の店と変わりないように思えた。最初は。
しかし、やはりというか何というか、そこはゲイの世界であった。
全ての会話がゲイであることが前提であり、ゲイでない自分にはついていけないのである。
ママの話してくれるゲイ世界の様々な情報は、とてもここに書くことは出来ないディープ過ぎる内容であった。
そして目を輝かせてママが話すゲイ情報に食い付く我が友人の顔は、それまで見たことがないものであり、今いる世界が自分の普段いる世界とは異なるものであることを象徴していた。
こんな感覚を抱いたのは、いつ以来だろうか。
自分の存在が、ここでは完全にマイノリティ(少数派)側なのだ。日常では気づかないうちに当たり前になっているマジョリティ(多数派)側に存在しているということが、ゲイバーにやってきて自分自身がマイノリティ側になることによって、強く意識させられることになるとは。
強いて言えば、海外に出かけて行って人種の異なる人達の中に入った時の感覚が近いだろうか。
ゲイの人達は、日常では紛れもなくマイノリティ側として生きている人達である。ゲイであることを知られると、偏見の目で見られるのはほぼ間違いない、そういう環境に置かれている。
そして、今、この場では、自分は偏見の目で見られている訳ではないが、ノンケ(異性愛者でいいのか?)というマイノリティ側の何とも言えない「自分自身がここにいることへの違和感」を感じるのである。
以下、後編に続く。
・ゲイバーと散髪とわたし(後編);https://kotsumekawauso.com/gay-bar-20160303/